日々是暇潰し

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○○は必要か否かという議論

○○には、金なり学問なりスポーツなり好きな物を入れればいい。テレビなりwebなりで、そういう議論をたまに(?)見るが、そういう議論の必要性がよくわからない。少なくともそういう議論があるということは少なくとも「○○が必要な人」と「○○が必要でない人」がいるわけで、○○が必要な人もいればそうでない人もいる、という結論がそこから容易に導かれる。そして、たいていの場合、そこで議論は終了である。厳密には「○○が必要だと(あるいは必要でないと)”思っている”人」だが、仮に、○○が必要かどうかを判断する能力が無いとすればそもそも議論する能力も無いと判断してよいだろう。

で、何が言いたいかと言うと、議論参加者が各々あらかじめ結論を持ってするような議論は確実に平行線をたどるし、意見の交換という意味でもほとんど意味を成さない、と言いたい。せめて目的を持って議論をしようぜーと。そして、敢えて人に対して意見を主張し、それを押し付けようとするなら有無を言わさないぐらいの説得力を持つ根拠を用意してそれにあたるべきだと思う。相手の意見を聞かない議論もどきはつまらないし、無益だ。少なくともこの文章と同じぐらいには。