日々是暇潰し

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頑張れない自分を責めないために、あるいは「介護士からプロ棋士へ(今泉健司・講談社)」を読んで考えたこと

 奨励会三段リーグの本は大崎善生の「将棋の子」を読んだことがある。奨励会というのは、地方で神童と呼ばれるような若い将棋指しが集まってきて、それが一部の俊英だけがプロになれて、他はどこかで見切りをつけてやめなきゃいけない、あるいは時間制限がきて退会になってしまうという場所というイメージだった。それは、身を切られるような経験に僕には思えて、そんな話かなと思ってこの本を手に取った。

 読んでいて、自分の事と重ね合わせる部分があり涙が出てしまった。おそらく正直に書かれているんだと思うけど、頑張らなきゃいけない時期にパチスロや麻雀にはまって頑張れなかったという部分を見て、自分が大学受験のために浪人していた時のことを思い出した。当時、予備校の帰りにゲーセンに寄ったりして、「こんなことをやっていていいのか」という自問自答はいくらでもしたんだよね。限界までは頑張れなかったな。その経験は今思い出してもつらい気持ちになる。
 今泉さんは、奨励会生活の後に介護の仕事とか普通の会社で働くことを経て、色々なものへの感謝が出てきたように書かれていた。僕もどうにか大学に入って、後悔しないようにと思って生きてきた。結果として今泉さんは41歳でプロ棋士になられたんだけど、これがもし失敗していても、今泉さんが人生の軌跡を書かれたとしたら、成長物語としてすごく読み応えがあったと思う。もちろん、他人事だから言えるわけで、プロになれなかった人生なんて冗談じゃないと思うだろうけど。
 極限近くまで努力を続けることはすごくつらいことで、それは本当に一部の人にしか無理なんだと僕は思う。水谷隼の「負ける人は無駄な練習をする」で書かれているチャンピオンの異常さは勝負に全てとは言わないまでもほとんどの部分を投入できることにあって、それができることがチャンピオンというか、勝負事で頭角を表す才能なんだろう。錦織圭は背を伸ばすために「寝ていろ」ってコーチに言われたら本当に寝ていたみたいだ(雑誌で読んだだけだからソースは提示できない)。そんなの普通の中学生には無理でしょう。羽生善治は「才能とは、一瞬のひらめきやきらめきではなく、情熱や努力を継続できる力」と言ったみたいだけど、それは、まわりで努力を継続できなかった人をみて思ったことなんじゃないのかなと勝手に推測している。
 で、僕のような努力を継続できない凡才はどうやって生きるべきかって話になるんだけど、頑張れないことも含めて、自分の能力を肯定するところがスタート地点なんじゃないかなと思っている。努力を続けられないのも自分で、そのことをいちいち責めていると疲れてしまう。勝負事の場面でできなかったことを後悔していたら十分に能力を発揮できない。それよりも、できた努力を肯定する。例えば、仕事に疲れた後に、数ページ勉強できたことを褒めてやる。そして自分の能力の限界なんだからしょうがないと思う。ただ、自分の怠惰さを正当化するわけにそうしているんじゃない。一生懸命生きようとするのはすごく大事なことで、僕は自分の能力を肯定することで、逆に自分の限界まではやろうという気持ちになれるようになった。過去のことを後悔せずに一歩一歩歩いて行くことが大事だよね、と思っている。そうすると、頑張れるだけはやったからしょうがないかなと思える。大学時代はテニスを真面目にやっていて、団体戦の前はすごく緊張したけど、やれるだけの練習は自分の能力の範囲でやってきたからと思って気持ちを落ち着かせていた。勉強とか試験とかで練習時間に制約があった時は多かったけどね。でも、頑張ってきたって思いながら前向きに戦いにのぞめることや、トップクラスの能力はないけど、明日も頑張ろうと思えることは非常に大事だと思っている。

 記事内で言及した本

介護士からプロ棋士へ 大器じゃないけど、晩成しました

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将棋の子 (講談社文庫)

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負ける人は無駄な練習をする―卓球王 勝者のメンタリティー

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